【ハリウッドvsブロードウェイ】バードマン の結末考察

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) のラスト 結末

バードマンのラストは観る人によって受け取り方が違い、リーガンは死んだのか、死んでないのか、虚構だったのかどうなのか、成功を収めたのか気になるところです。

リーガンは海で自殺しようとした話をした後に、公演のラストシーンのために銃を持って舞台へ向かいます。リンカーンは自殺をしようと思っているのか、本物の銃に弾を込めて舞台に立ちます。銃に弾を込めた後に再度弾を取り出し、また装着します。(後で装着したシーンは幻覚なのかも知れないと思ったシーンです)

リーガンは舞台で死ななかった説

1.自殺しようとしたが・・・

舞台の上で主人公が頭を撃ち抜くシーンで、本物の銃で自殺を図ります。しかし弾は外れ、鼻を撃ち抜きます。リーガンのその殺気迫る眼力で、評論家の高評価を得ます。

2.リーガンの自演

リーガンがベッドから起き上がり、トイレの鏡の前で1枚目のガーゼを剥ぐシーンは、まるで「この出来事はリ―ガンの自演だったのか」と思われるシーンです。トイレで幻覚であろうバードマンに「さよなら」を言います。つまり、この時、リーガンは正気に戻った、または解き放たれたこと意味しています。もし生きているのなら、その後の行動は幻覚に翻弄されないということを示して、死んでいるのなら、死により解き放たれたことを示します。

リ―ガンは飛び降りた説

舞台での自殺に失敗したリーガンは病室の窓から飛び降ります。病室に戻ったリーガンの娘が窓の下を探し、娘は空を見て微笑みます。娘の表情からはリーガンが飛び降りたのかどうかはわかりません。ただ娘の大きな瞳のラストシーンが印象的で、「君のをえぐって俺のにする」とマイクが言ったように、娘の目に映ったものは何だったかは本人しか知り得ません。

飛び降りずに、リーガンは窓の外の上方に居たんだという考えもできます。

リーガンは舞台で死んだ説

舞台で頭を撃ち抜いてしまいます。そこで、ワンカットで撮られていた場面が切れます。そこまではリーガンの人生であったということで、その後は病院での天に召されるまでの世界です。娘はライラックの花を持ってきます。

すべてがハッピーエンドに終わって欲しいけど、私自身はこの説が一番納得行くように思います。舞台で頭を撃ち抜いたリーガンは最後病院のベッドで息をひきとる。

バードマン ライラックの花に込められた思い

アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩「前庭に最後のライラックが咲くとき」は、咲き誇るライラックの花と、西に沈む巨星とつぐみという鳥によって、リンカーンを偲んでいます。つまりライラックと隕石のシーンと最後の窓の外の鳥のシーンは死んだことの象徴です。

バードマンの結末

いくつもの捉え方ができるように、謎やヒントが隠されている結末です。結局、観客の好きなように捉えていいということでしょう。「娘の目にどう映ってどう感じるかは、俺とは違う」ように、観客それぞれです。

ハリウッド映画とブロードウェイ演劇の対立

この映画で、ハリウッドとブロードウェイ、同じ役者でも対立があることがわかります。かつてハリウッド映画で人気を博した俳優リーガンがブロードウェイの舞台に立ちます。ブロードウェイの有名評論家タビサは映画に対して偏見を持ち、リーガンに「おまえは役者じゃなくセレブ。舞台は見ない上で、誌面で酷評してやる」と言います。

それに対してリーガンは「評論家は血を流さず、安全なところで言っているだけ」だと言い返し、最後は皮肉交じりの高評価の記事を掲載します。

邦題「無知がもたらす予期せぬ奇跡」の意味

「The Unexpected Virtue of Ignorance」は、ニューヨークタイムズの演劇批評家タビサ・ディッキンソンが書いた記事のタイトルです。超現実主義という演劇目メゾットの新時代を切り開き、演者と観客に血を通わせたと。そこで死んだとしたら、それは演技ではなくなると思うのですが。

タビサが書いた無知とは、リーガンのブロードウェイ演劇に関する無知で、奇跡とは高評価のことでしょうか。

カメラ長回し、ワンカットで撮る効果

4日間の出来事を、ワンカットのように撮っています。ワンカットの凄さと難しさを感じさせる作品です。ワンカットで撮ることによって、途切れることのない目線が緊張感を生み、劇場の裏側や劇場の造り、通路の狭さや乱雑さを感じることができます。

居ないはずのドラマーや幻覚であろうバードマンもワンカットの中に次々表れ、混乱する姿がより顕著になります。

ハリウッド映画の裏側 ブラックコメディ

重たい内容の映画だが、それを軽くしているのがユーモアセンスです。映画のパロディやハリウッド映画やリアリティドラマに対する批判めいた言葉、ハリウッドの人気者はヒーロー映画に出演し演者ではないと言い切ったり、アイアンマンのロバート・ダウニー・Jやジョージ・クルーニーの顎、メリル・ストリープの鼻などの俳優陣の名前が次々出てくるところでクスッと笑えます。

エドワード・ノートン

エドワード・ノートンも映画「インクレディブル・ハルク」で主人公ブルース・バナー(ハルク)を演じています。エドワード・ノートンはマーベルのヒーローが一堂に会する映画「アベンジャーズ」の出演を断っています。「僕はああいった種類の映画に出演することに時間を費やしたいとは思わないんだ。ほかにたくさんやりたいことがあるからね」と。(シネマトゥデイより)

マイケル・キートン

マイケル・キートン自身も1989年のバッドマンの主役ブルース・ウェイン(バッドマン)を演じています。まるでマイケル・キートン本人の話のようにも感じますが、マイケル・キートンがバッドマン以降、落ち目だったかは不明。

この映画の中には、現実とシンクロする場面がいくつもあります。レイモンド・カーヴァーの短編小説「愛について語るときに我々の語ること」を舞台化しますが、舞台の主人公は、不倫・離婚・自殺という道を辿るリーガンの半生のようです。

演劇評論家と観客の評判

映画の中で、演劇評論家はハリウッド映画のセレブを貶します。評論家受けする作品は必ずしも観客の人気を得る作品ではありません。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督

2000年「アモーレス・ペロス」で映画監督デビューを果たし、「人生は失うことの連続」というテーマでカンヌ国際映画祭の批評家週間部門でグランプリを受賞しています。その後「21g」「バベル」を制作。イニャリトゥ監督自身の作品も評論家受けする方の作品ではないでしょうか。

レイモンド・カーヴァー

レイモンド・カーヴァーは詩人であり小説家。批評家から無駄なものがない「ミニマリズム」の小説と評されていますが、映画の中ではリーガンの娘から「カーヴァーの舞台を観るのは金持ちの老人ばかり」と言われています。

映画の冒頭はレイモンド・カーヴァーの詩から始まります。

この人生における望みは果たしたと? 果たしたとも。

それで、君はいったい何を望んだのだろう。

それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって愛されるものと感じること。 

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) について

2014年、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の作品。かつて数十億ドルの興行収入を稼いだヒーロー映画バードマンの主役だったリーガン・トムソン。それ以降20年以上もヒットに恵まれず、ブロードウェイに進出、再起を図る物語です。

ゴールデングローブ賞に最多7部門にノミネート、主演男優賞、脚本賞の2部門を受賞。アカデミー賞には、最多9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞の4部門を受賞しています。

  • 主役のリーガン・トムソンをマイケル・キートン
  • リーガンの娘サマンサ(サム)・トムソン をエマ・ストーン
  • ブロードウェイ初出演女優レズリー・トルーマンをナオミ・ワッツ
  • ブロードウェイの有名俳優マイク・シャイナーをエドワード・ノートン

特にマイケル・キートンの演技は称賛されています。エマストーンは「ラ・ラ・ラ・ランド」で第89回アカデミー賞主演女優賞受賞、ヴェネツィア国際映画祭女優賞受賞。ナオミ・ワッツはもちろんのことエドワード・ノートンも上手いが扱いにくい俳優を演じきっています。


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