アメフトと人種差別の映画「ウッドローン」

映画「ウッドローン」

NFLのランニングバック、トニー・ネイサンの半生を描いた作品です。

1973年、黒人に対する差別があるアメリカ、アラバマ州の出来事。白人と黒人が共学するウッドローン高校、国の差別廃止令により共学が可能となりますが、学校内では人種差別が絶えませんでした。

人種差別や挫折などを乗り越え、勝利を掴んだアメフト選手トニー・ネイサンの実際のサクセスストーリーです。

アラバマ州の人種差別

アメリカの南部、Deep Southであるアラバマ州は保守的な南部の農地帯で、人種差別も激しかった州です。KKKも多いと言われています。

1830年代、アラバマ州中央部からミシシッピ州北部にかけてブラックベルトと呼ばれ、アフリカ系アメリカ人の割合が高く、奴隷を使った綿花の栽培、綿の生産で栄えていました。

1963年に州知事になったジョージ・ウォレス知事は、アラバマ大学で人種統合に反対し、「永遠に差別を」と唱えた知事です。アラバマ州の最大の都市はバーミングハムです。

人種共学

1964年公民権法により、人種共学と公教育において人種差別を排除することを定めました。もと白人高校ウッドローン高校にも黒人の入学が許可されました。しかし黒人を下に見る白人と黒人との間には隔たりがあり融和することはむずかしかったのです。

トニー・ネイサン

1956年生まれ、ウッドローン高校で、初の黒人選手となります。アラバマ大学でランニングバックとして活躍し、1979年NFLドラフトでマイアミドルフィンズに入り、1979年から1987年まで活躍しました。

1982年1月2日に行われたディビジョナル・プレイオフ、サンディエゴ・チャージャース対マイアミ・ドルフィンズ戦。前半戦終了間際にドルフィンズが完璧なフック&ラダーを披露しました。QBドン・ストロック(背番号10)からのパスを受けたWRデュリエル・ハリス(82)が捕球直後、後方にいたRBトニー・ネイサン(22)にボールをトスして、そのままタッチダウンとなりました。

映画「ウッドローン」の感想

1973年、ウッドローン高校のアメフトチームの話。上記にあるように、元々ウッドローン高校は白人高校でした。人種共学が進められ、ウッドローン高校も共学に。しかし人種差別は絶えませんでした。

黒人選手を出せば、白人の観客が怒鳴り、黒人選手を出さなければ黒人観客が怒鳴る、「勝たなくてもいいから騒ぎを起こすな」という風潮で、トニー・ネイサンが素晴らしい走りを見せます。

兎に角、宗教色が濃くて、私は、映画の中に出てくる教育委員会的な見方しかできませんでした。人種統合がなじまず、人種差別が絶えない人々の心やその精神を変えさせるためには、宗教の力は役立つかもしれません。

1人のスポーツチーム専門の聖職者ハンク・アーウィンの演説でチームが改心していき、チームが一丸となり勝利を手にするというストーリーです。これは実話だそうで、最後に実際の映像が流れます。

  • 1973年9月7日エンスリー対ウッドローン
    トニー・ネイサン出場、インターセプトしてあとわずかでリターンTDという走りを見せる。
  • 1973年9月14日ベイズ対ウッドローン
    トニー・ネイサンをテールバックとして起用し勝利
  • 1973年10月5日ハフマン対ウッドローン
    首位を独走するハフマン相手にトニー・ネイサンがタッチダウンを果たす(その走りでスター誕生の瞬間と中継される)
  • 1973年11月9日ハフマン対ウッドローン
    ウッドローンは敗退し優勝を逃す。

第11回クォーターバック父子会でバーミンハム最優秀選手賞に2人が選出されます。ハフマンのジェフ・ラトリッチとウッドローンのトニー・ネイサンです。

映画「ウッドローン」登場人物

サム・カニンガム

1950年生まれ、USC(南カルフォルニア大学)でのキャリアを経て、1973年ドラフト1巡1位で指名されペイトリオッツで9年間プレイする。映画の中ではアラバマ大の監督ブライアントが尊敬に値する、本物の選手と称賛した選手です。

1973年ドラフトで1巡11位で指名されて以来、ペイトリオッツ一筋に9年間プレイ。チーム歴代トップの通算ラン5,453ヤードを獲得した。プロボウル選出1回。

映画「ウッドローン」登場人物のその後

トニー・ネイサン

アラバマ大へ。1979年1月ペンシルベニア大に勝利し、シュガーボウル優勝。1979年NFLドラフトでマイアミドルフィンズに入り、その後NFLコーチに就任する。

ジェレルズ監督

トニー・ネイサンを育てた後、一旦保険会社に勤務するが、監督業再開。10年間で110勝を挙げ、州大会優勝を成し遂げる。

ジェフ・ラトリッチ

アラバマ大、NFLで活躍後、高校の監督を務める。

ハンク・アーウィン

ハンク・アーウィンはその後政治家となる。この映画の監督は、ハンク・アーウィンの息子である。

 


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